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ノーベル賞を逃した日本人

今年のノーベル物理学賞 について、イタリアで批判の声が上がっているそうです。

小林・益川理論の基礎になったのはイタリア人のカビボ(カビッボ)の理論なのだから、受賞できなかったのはおかしいとのこと。


僕もそう思います。

南部先生とは別の年にカビボ・小林・益川の3人で受賞の方がスッキリしたのに。




重要な成果を出しながら何故かノーベル賞を取れなかったら悔しいでしょうね。

・・・というわけで、そういう悔しい日本人を挙げてみます。(参考:Wikipediaなど)


北里柴三郎(きたざと しばさぶろう)

血清療法をジフテリアに応用し、同僚であったベーリングと連名で「動物におけるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立について」という論文を発表した。第1回ノーベル医学・生理学賞の候補に北里の名前があがったが、結果は抗毒素という研究内容を主導していた北里でなく、共同研究者のベーリングのみがこの業績により受賞した。そのため北里が受賞できなかったのは東洋人、黄色人種であったからなどともいわれている。


鈴木梅太郎(すずき うめたろう)

クリスティアーン・エイクマンがビタミンB1の発見によって生理学・医学賞を受賞しているが、エイクマンは米ぬかの中に脚気の治癒に効果のある栄養素(ビタミン)の存在を示唆したにすぎず、実際にその栄養素をオリザニン(ビタミンB1)として分離・抽出し発見したのは鈴木梅太郎である。


山極勝三郎(やまぎわ かつさぶろう)

ヨハネス・フィビゲルが寄生虫によるガン発生を唱えて生理学・医学賞を受賞しているが、同時期に刺激説を唱えていた山極勝三郎が受賞を逃している。後年、フィビゲルの説は限定的なものであるとして覆され、今日のガン研究はすべて山極の研究に拠っている。


以上3人は、ノーベル賞を受賞して当然だったように思えます。




岡崎令治(おかざき れいじ)

生きていればノーベル賞は確実だったろう、といわれる日本の分子生物学のパイオニア。

1966年、DNAの合成前駆体である短断片(岡崎フラグメント)を発見し、Proc. Natl Acad. Sci USA誌、ならびにコールドスプリングハーバーシンポジウムで発表する。1967年、同分子生物学研究施設教授。1972年、岡崎フラグメント間をつなぐRNAを見いだし、DNA非連続合成のモデルを完成させた。

1975年、広島での被爆が原因の慢性骨髄性白血病で米国旅行中に44才で急逝した。


加藤与五郎(かとう よごろう)

助手の武井武とともにフェライトを発明。

オランダのフィリップス社が加藤と武井らの発明したフェライトのサンプルを分析して、1941年にオランダでフェライトの特許を取得。フェライトの発明はフィリップス社だという印象を与えてしまうことになった。

フェライトの原理を解明したフランスのルイ・ネールが1970年にノーベル物理学賞を受賞。

http://www.tbs.co.jp/newsbird/newsbird_archive/globe/061204.html


久保亮五(くぼ りょうご)

統計物理学、物性物理学の分野で国際的に知られた。

1957年に「久保公式」と言われる式を考案し、現在でも量子統計力学の基本公式になっている。

久保博士は1979年の物理学賞の候補者に上がっていたが、辞退したのだという。

http://www.tbs.co.jp/newsbird/newsbird_archive/globe/061204.html


大澤映二(おかざき えいじ)

C60フラーレンの発見は1985年であるが、それ以前に C60 構造の存在を予言していた学者がいる。豊橋技術科学大学の大澤映二は、1970年頃、ベンゼンが5つ集まって皿状になった「コランニュレン」という物質の構造がサッカーボールの一部と同じであることに気づいた。ここから、実際にサッカーボール状の C60 も存在しうると考え、考察の結果を邦文雑誌などに公表した。だが、これが掲載されたのは日本語の文献のみで、英語などでは発表していなかったため、欧米の科学者には知られることなく、ほぼ15年後に実在が確認される結果となった。

C60フラーレンの発見により、ハロルド・クロトー、リチャード・スモーリー、ロバート・カールは、1996年度のノーベル化学賞を受賞した。




岡崎令治さんは、マジでノーベル賞確実だったと思います。

ノーベル賞は生きていないともらえないのです。

今年の物理学賞の南部先生は長命で本当によかった。



岡田善雄さん戸塚洋二さんが今年亡くなられましたが、長命だったらノーベル賞もあったかもしれません。




日本人ではありませんが、死んでしまってノーベル賞がもらえなかったとして有名な人に、DNAの2重らせん構造の解明におけるロザリンド・フランクリンがいます。

1962年にジェームズ・ワトソン、フランシス・クリック、モーリス・ウィルキンスがノーベル賞を受賞していますが、重要だったのはフランクリンによるX線回折写真です。

フランクリンの写真を、ウィルキンスがこっそりとワトソン、クリック見せたのが二重らせん構造解明のきっかけになったそうです。

フランクリンは1958年に37歳の若さで卵巣癌と巣状肺炎で死んでしまってノーベル賞がもらえませんでした。



カビボはまだ生きているのですから、イタリアの異議もわかります。

ノーベル賞を日本に盗まれた!イタリア物理学会が猛反発
10月10日8時2分配信 スポーツ報知

 「ノーベル賞を日本に盗まれた」-。イタリアの物理学会が日本の小林誠、益川敏英両氏へのノーベル物理学賞授賞に激しく反発していることが9日、分かった。伊主要紙によると、その理由は両氏の理論の基礎をつくったとされるローマ大教授の“落選”。ノーベル賞は受賞を3人以内と規定している。そのためこれまでも、重要な貢献をしながら選に漏れた学者が、異議をとなえる事態が度々起こってきた。

 日本人3人が独占受賞した今年のノーベル物理学賞に対し、イタリア国内で疑問の声が巻き起こっている。8日付のイタリア主要各紙は、今回の受賞をヒステリックに1面で報じた。

 「ノーベル賞、引ったくり」(ラ・ナツィオーネ紙)「カビボ氏への賞をはく奪、彼が称賛されるにふさわしい」(コリエレ・デラ・セーラ紙)。

 カビボ氏とはイタリア人物理学者のニコラ・カビボ・ローマ大教授(73)。そのカビボ氏が受賞を逃したことを疑問視する声はテレビでも大きく報道され、英科学誌のインターネットサイトでも、「カビボが小林と益川の研究のベースを作った」などと取り上げられた。

 ほかにも、世界最大の素粒子実験施設「大型ハドロン衝突型加速器(LHC)」を建設した欧州合同原子核研究所(CERN)の研究者らからも疑問の声が上がっているという。

 素粒子のクォークは少なくとも6種類あり、互いに変身し合うとの「小林・益川理論」が発表されたのが1973年。しかし、その10年前の63年に、カビボ氏は同理論の基礎となる考えを提唱した。物理学会では「カビボ・小林・益川理論」と3人の名を同時に冠して呼ばれることもあるという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081010-00000078-sph-soci

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